不登校|親の葛藤と思い
不登校。
この言葉とこんなに密接に自分が関わるとは、娘が産まれた12年前は思いもしなかった。
わたしの母が、孫に関連する新聞の記事をピックアップして、読みやすいように折りたたみ、キレイに紙袋に入れてくれるその愛情が身にしみている今日このごろ。
不登校のシンポジウム情報や書籍、新設される施設や居場所情報など「知りたい」がギュっとつまった紙袋がはわたしにとって宝の束である。
葛藤という感情をこの2年間でひしひしと感じている。
学校に行かなくても就職をして自分のやりたいことをしている人もいる。
学校だけがすべてではないし、自分が通ってきた道じゃない進路、魅力的じゃないか。
友だちに、せめて放課だけでも会いに行けたらいいのにな。
もうすぐ中学生。先日採寸した制服を着て、自転車に乗っていけるようになるのだろうか。
朝になると、泣いてわたしに抱きつき、「お母さん、今日行かなくていい?行きたくない、ねえ行かなくていい?」と、ほぼ同じ身長の娘がその涙顔でうったえる。
3歳の小さな子どもが保育園に行きたくない、ママと離れたくないと泣く理由とはちがうから、抱き上げて車にのせるわけにも行かず、そんなことをしたら二度と口をきいてはくれないだろう。
学校に行く日はササっと準備をして自分で玄関をあけ、友だちと歩いて登校をしている。行かなくていけないことを本人が1番わかっているのだけれど、どうしてもスイッチが入らない日がある。
学校。
大きな集団生活が合う子もいれば、そうでない子もいる。
不登校の親になり、学校に行かない子がいても、行かないことを「つらい」と思わなくていい世の中になってほしいと願う。
原因やしんどい理由を探してそれが解決したらクリアというわけではない。複雑で見えづらくて、そもそも根本がどこにあるのか、本人にさえ見えない。
白黒はっきりさせてすべてが見えるようわかりやすかったらいいのだけれど、そうではないところに、しんどさがある。
学校一択ではなくて、もっといろんな過ごし方があったらいいのにな。
高額なフリースクールに、わたしたち親子にとって対応が合わなかった近所の適応指導教室。
生きているから、いつか自分の力で立ち上がれるから大丈夫という気持ちと「これでいいの?」部屋から聞こえるオンラインゲームで楽しそうに笑う娘の声に、葛藤が交錯する。
あと2週間で卒業式。
娘が安心して過ごせるよう支えていきたい。
コロナ|家族全員が陽性になり得たもの2つ
家族全員がコロナになって思うこと。
日常生活が送れるって、本当にありがたい。
いつも通り、子どもや夫が2階から降りてきて、「おはよ」を言い、いつも通り子どもたちを学校に送って仕事に行く。
そんな日常から、かれこれ2週間ほど遠ざかっている。
自分の体調が出産してからこれまでの11年で最悪に悪くなり、しんどさのなか、子育てと家事をこなした。
わたしがやらないと、家が回らない。
洗濯はたまっていくし、掃除もしないと気持ちがわるいし、布団も干したい。
でも、体がおいつかない。
やっと重い体を起こして家事が一段落したのが午後3時。
外はもう夕方になりかけている。
熱がさがってきたころ、みんな条件は同じだから、朝昼晩と1日に3回皿洗いじゃんけんを提案してみた。
夫とわたしと娘が勝負。
負けたらやるって言うのはなんだか罰ゲーム感が強いから、勝ったら皿洗いができる。
自分だけが背負わず、協力してこそ家族だ。
次第に夫と娘が得意な洗濯物畳みも、洗濯ばさみからはずして山にしておくと、すすんで何も言わなくてもやってくれるようになった。
ふたご(自閉症)にできることも頼むようにした。
たたんでもらった洗濯物を、洗面所まで運ぶお手伝い。
はじめこそ、タオルの山がくずれて洗面所にたどりついたときは取り込んだ状態になってしまったけれど、この数日間でだいぶ上達してきた。
陽性診断から4日目になり、全員熱もさがって元気になってきた。
しかし本当にコロナの感染力につよさには驚いた。
息子が相当ひどい胃腸炎になってもわたしはうつらなかったのに、コロナには勝てなかった。
今のところ味覚障がいや後遺症などは感じられないが、コロナになって得たことが2つある。
油断は大敵だが、予防接種3回目+コロナ陽性になった人は、コロナにたいする抗体ができるため、むこう90日間ほどは再感染のリスクが70%以上減るそう。
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- 新型コロナウイルスに感染した場合、発症10日目くらいにはウイルスに対する抗体が検出され、抗体価は発症20日目くらいにピークに達しました。
- 抗体価は時間と共に低下しますが、その低下速度は一定ではなく徐々に緩やかになっており、発症から3~6か月後でも抗体は維持されていました。
- 重症者の最高抗体価は軽症者に比べ高い傾向にありましたが、時間の経過と共に重症者と軽症者の抗体価の差は小さくなりました。
新型コロナウイルス感染時に獲得されたウイルスに対する抗体は 少なくとも発症後3~6か月間は維持される|東京大学医科学研究所
だからと言って、感染対策を怠ることはしないが、これはしんどい思いをしたご褒美とも言える。
そしてもう1つは、このまま家族が自分の役割として家事を分担できる流れになるのではと、そんな期待をしている。
お母さんが家事をやらなければいけないなんて決まりはどこにもない。
みんなが一緒にやればその分早くおわる。
また今夜も皿洗いじゃんけんで勝つのは誰か、期待大である。
皆さん、くれぐれも体調にお気をつけて。
「抑肝散」を飲みやすくするベスト3食材!自閉症児の漢方ライフ
長い夏休み、やっと?1週間が過ぎましたね。夏バテしていませんか?
我が家のふたごの息子たちヒカとマメは毎日元気に過ごしています。
先日Twitterで、「漢方薬」を子どもに無理なく飲ませる方法をお聞きしたところ、たくさんのかたの貴重なご意見をいただきました。
突発的な怒りがひんぱんに起こり、かんしゃくのコントロールがしにくい長男ヒカは、「エビリファイ3ミリ」を飲んでいました。
なかなか効果が感じられず、先回の病院受診で「漢方を試してみましょう」と抑肝散と甘麦大棗湯とプラスでリスパダールが処方されました。
大人でも飲みにくい漢方を子どもに飲ませ続けるには、どんなものと混ぜると飲みやすくなるのか、うちの子に合った方法ですが第1位から第3位まで紹介したいと思います。
漢方の飲みづらさでお悩みのかたのヒントになれば幸いです。
舌ざわりを軽減する方法
漢方のザラザラとした舌ざわりがイヤでベーッと出してしまったので、
アルミの袋の上から麺棒などでつぶしてあげると良いとTwitterで教えていただきやってみました。
麺棒で袋がやぶれないように叩きながらつぶしていくと、粒が小さくなり粉状に近い状態になります。
それではさっそくランキングを見てましょう!
第3位 練乳アーモンドクリーミー
漢方の混ぜ合わせて有名なのが「ピーナッツバター」だそうですが、ヒカはピーナッツにアレルギーがあるためこちらを試してみました。
漢方と混ぜ練ってみたところ、飲むというよりスプーンで食べてくれました。
ただ、少し練乳の甘さがきつかったようで3回目くらいでおことわりがでました。
第2位 チョコレートクリーム
チョコが大好きなヒカは喜んで食べてくれました。トロっとしていて漢方のザラザラ感もないようで、甘くておいしいようです。
ただ甘麦大棗湯は寝る前に飲むのでカロリーが気になります。
それともう1つ。
うちの場合、口がこうなります。そしてこのあと服もチョコまみれになりました。
チョコがかなり柔らかいのでこぼれやすいのが難点です。
第1位 つぶあん&きな粉
毎日練り練りしてお団子のようにしています。
きな粉と漢方でかなり粉の比率が高く、つぶあんをおよそ大さじ2杯弱ほど入れています。
最初はまったくあんこと粉が混ざらずポロポロの状態ですが、グルグル混ぜ混ぜしていくうちに、だんだんしっとりしてきます。
あまりにも水分が少ないときは、「はちみつ」をプラスするとまとまりやすくなります。
今のところ、この「つぶあん&きな粉」がヒットしており、継続して毎日飲んで(食べて)います。
おすすめ食材
この他にもTwitterで漢方に合う、またはお試しされている方法を教えていただきましたので紹介します。
・プッチンプリンのカラメル
・味付きオブラートに包む
・ブルーベリージャム、いちごジャム
・オレンジゼリー
・「にがいのにがいのとんでいけ」(チョコレート製品)
・クッキーを混ぜたチョコ
・味噌汁
・ココア&牛乳
・黒蜜&きな粉&バニラアイス
・お湯にめんつゆ
・お湯にはちみつ&牛乳
・ミロ&牛乳
・「おくすりのめたね」
・空のカプセルにつめる
・コーラ
・ソントンのチョコクリーム
・練乳
長く付き合っていくので、親も子も続けやすいものに出会えるといいですよね!
おわりに
味も舌ざわりもそしてにおいも独特な漢方。
しかしこれから付き合っていくお薬としては身体に優しい自然由来の成分を使っているので、続けていけたらなと思っています。
これから漢方を飲もうかとお考えのかた、飲み合わせでお困りのかたのヒントになりましたでしょうか。
あなたや、お子さんが心穏やかに過ごせますようねがっています。
【不登校】居場所さがし紹介と我が子が動き出す「待ちかた」について
丸1ヵ月間学校を休んだのは、不登校がはじまってからはじめてでした。
小6の娘tukiは昨年11月ころから五月雨登校(時々学校に行く)をしたり、放課(休み時間)のみ登校をしたりしています。
しかし先月はパタリと学校に気持ちが向かず、家にいたり、祖父母宅に行ったりして過ごしました。
ここでは、娘が不登校になって約8ヵ月の間、わたしがしてきた「我が子の居場所探し」と、我が子の気持ちが動き出すための親の「待ちかた」について、今お子さんが不不登校で、わたしと同じ、先が見えないトンネルのなかにいらっしゃるあなたへ。
適応指導教室
不登校になり始めた5年生の秋、娘が「私はもう学校に行かない」と突然宣言をして、自分の机にあった鉛筆を全部捨てました。(新聞紙にくるんだそうで私は気づきませんでした)
のちに、「学校に行かなくても勉強をするときに鉛筆が必要では?」と聞いたところ、「学校はシャープ(シャープペンシル)が禁止だけど、家は使えるから」とのことです。(なるほど…!?)
なんとかして学校に行かせなくてはと、相談窓口を広報で探し、たどりついたのが適応指導教室です。
適応指導教室(てきおうしどうきょうしつ)、または教育支援センターは、市町村の教育委員会が、長期欠席をしている不登校の小中学生を対象に、学籍のある学校とは別に、市町村の公的な施設のどこかに部屋を用意し、そこで学習の援助をしながら本籍校に復帰できることを目標に運営している教室である。
見学をしてみて、学校の教室くらいの広さの部屋に、学校と同じ机と椅子があり、黒板があって、後ろのほうに折りたたんである卓球台がありました。
席は自由で、来る時間も帰る時間も自由です。
お昼は学校の給食が出るので、事前に注文をすると食べられます。お弁当でも大丈夫とのこと。
ロッカーが個人用に1つあり、服装もカバンも靴も自由。そして過ごし方もそれぞれ好きな課題を持ってきてもよし、来た児童さん同士でカードゲームをしてもよし。
過ごし方もその子がやりたい、やってみたいことをして、心を休め、その上で少しずつ登校ができるように、地域の学校と連携を密にとりながら過ごします。
1つのことに特化してやってみたいことがある子にとっては合う環境だと思います。娘には、「自由」という幅の広い時間の使い方がわかりにくさ感じ、2週間ほどいき通わなくなりました。
ホームフレンド
学校や自宅で、教育・福祉分野へ就職を目指す大学生ボランティアのお兄さんお姉さんと遊んだりおしゃべりをしたりするホームフレンドを申し込みました。
こちらは、学校からの紹介で、担任の先生と相談をし、1~6時間目のなかの1時間、ボランティアさんとオセロをしたりUNOをしたりして、ゆったりとした空間のなかで遊びを通して心を通わせることを目的としています。
五月雨登校中に2度ほど遊んでもらい、不登校になってからは、娘と私が学校に出かけ、ボランティアさんと娘と私で遊んで帰宅するという形をとらせてもらっていました。
不登校になった理由や学校についての話は一切せず、楽しく笑顔で過ごせる時間で、帰りはボランティアのお姉さんと教頭先生と養護教諭の先生が見送ってくださり、娘にとって「学校に迎えた」「楽しかった」と感じられる時間となりました。
オンライン家庭教師
学習の遅れをとらせないよう必死で家庭教師を探しました。
外に出ることに抵抗を示しはじめていたので、オンラインで検索をしました。ちょうど「家庭教師のトライ」がキャンペーンをしていたので、体験をしてみたところ「やってみる!」とのこと。
先生との相性が合わず、変更もできましたが続ける気力がなくなりました。
診断
徐々に学校にいくどころか、スーパーにも「人が怖い」と出かけられなくなり、日に日に不安が強くなるtuki。
かかりつけの小児科に紹介してもらった精神科へ受診をし、発達検査をして「自閉症」と「不安障害」と診断がつきました。
自閉症、アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)
主な特性
- 相手の表情や態度などよりも、文字や図形、物の方に関心が強い。
- 見通しの立たない状況では不安が強いが、見通しが立つ時はきっちりしている。
- 大勢の人がいる所や気温の変化などの感覚刺激への敏感さで苦労しているが、それが芸術的な才能につながることもある。
不安障害
大勢の人の前で話すときや大事な試験のとき、緊張して汗をかいたり、心臓がドキドキしたりするのは当たり前の反応です。でも心配や不安が過度になりすぎて、日常生活に影響が出ていたら、それは不安障害かもしれません。不安障害は、精神的な不安から、こころと体に様々な不快な変化が起きるものです。
不安障害|こころの病気について知る|ストレスとこころ|こころもメンテしよう ~若者を支えるメンタルヘルスサイト~|厚生労働省
日中一時支援
そこで、学校と家庭と連携をとって支えてもらいたいと考え、私が仕事に出かけている間、デイサービスを利用したいと考えました。
放課後等デイサービスも探し中ですが、以前から弟のヒカとマメがお世話になっている日中一時支援へ見学に行きました。
日中において監護する者がいないため、一時 的に見守り等の支援が必要な
障害者 等 の日中における活動の場を確保し、障害者等の 家族の就労支援及び障害者等を日常的に介護 している家族の一時的な休息を図る。 ○ 障害のある子どもが、専門家等の支援を受けながら、原則として一般施策によるサービスを受ける方向 を目指す。
面談中、しんどくなってきて私の膝に頭を乗せて少しぐったり疲れた様子のtukiではありましたが、「私、見学に行けた!」と自信をもてた日で、親子で喜び合う経験ができました。
今日まで3回ほど日中一時支援を利用させてもらい、毎回「楽しかった」と帰ってくる姿をみてホッとしています。
さいごに
我が子が不登校になると、親は焦りますよね。どうにか学校に行けるように、それがムズカシイのであればどこか楽しめるように、充実した1日を過ごしてほしいと、ソファーでゲームやYouTubeを見ている我が子を見て思うのは私だけではないと思います。
でも、「待つ」ことが大事だと散々いろいろな記事や本で見てきました。
その待ちかたは、家庭数あってもいいのかなと自分を肯定するわけではありませんが、思うのです。
なぜなら、もがいてつかんだ行き先に、娘がヒットする居場所があったからです。
なにもせず、じっと待つまちからも、出かけられるときに、ちょっと誘って行ってみる待ちかたも、両方正解で、間違いなんてないはずだと、私は信じています。
ふたご自閉症児の運動会|順位や完成度よりも大切なことを学んだ
お久しぶりです。
ひかまめ、姉のtuki、3人の自閉症児子育て中のりぼんです。
かなり更新が滞っており、元気ですが毎日バタバタの日々を過ごしております。
あなたはいかがお過ごしですか。
先日運動会が行われました。マスクを付けたり、熱中症対策のためはずしたり、子どもたちは日常のようで慣れたものという顔をしてポケットに出し入れしていました。
毎年この行事が近づくと我が家の子どもたちは心がザワザワし、いつもと違う雰囲気に熱を出す子もいれば不安定で寝られない子もいます。
本番を無事迎えられたのですが、今年も温かい拍手をたくさんもらい、忘れられない運動会となりました。
4年生になったひかとまめは、徒競走で同じ特別支援級の友だちと3人で最終走者を走りました。
スタートの位置に立って待つってむずかしいですね。
先生に「ここだよ」と指示をうけ、ひかを待たせ、他の児童さんのところへ先生が向かかうと、その様子をみたひかは、先生について行ってしまいました。
フラフープのように立体になっていると、「そこで待つ」という意味がわかりやすいですが、石灰で書いた白い線は、まだまだ入りづらいんだなとその様子を見て思いました。
練習では、「よーいドン」の合図で勢いよく走っていたひかは、最初こそ全力で走りましたが、なんとコースの途中でまさかの座りこみ!
理由は友だちやまめが、先に走っていったしまい自分がおいていかれたと思ったのか、長い時間暑いなか待っていてもうイヤになったのか。
担任の先生が励ましてくださり、なんとか立ち上がってゴールすることができました。
まめは、声援にこたえながらコースを走っていましたが、担任の先生がひかのところへ向かい、どこを走ってよいのかわからなくなったのか、カーブで友だちがコースをはずれたのを見て、まめも友だちに付いていきました!
2人がコースアウトをすると、5~6人の先生方がかけより、誘導をしてくださり、なかなかユーモア溢れる盛大な拍手がなるなかの徒競走になりました。
低学年のころは、徒競走をする順番の列に並ぶことはできても、「少しずつ前につめる移動」の意味がわからず、それに場所が変わることへの変化が受け入れられず、混乱していました。
でも4年生になり4回目の運動会を迎え、2人とも少しずつ前につめて座り、友だちが走っている様子をみたり、自分の番が来たらコースに立つこともできたりして、成長を感じることができました。
自閉症児の親になった9年目、毎回こうした行事を経験し、「完成度」や「順位」よりも、「その子にとってできるようになったところ」、「受け入れられるようになったところ」に注目をすることの大切さを味わわせてくれる2人に、感謝の気持ちでいっぱいです。
「無事に終わりますように」と願いながら、手に汗にぎる思いで当日を迎え、終わった瞬間の安堵感ははかりしれないです!
障がい名は「題名」自分の強みと苦手を知り「努力ポイント」をもつ
我が子が「自閉症」だと医師から告げられたかたへ。
驚きや疑問、不安がおしよせ、「なぜうちの子が?」と落胆する気持ちをおもちではないでしょうか。
わたしも、そうでした。
ここでは、3人の子どもたちが3人とも「自閉スペクトラム症」と診断をうけ、
・障がい受容
・親としても想い
について、そして自閉症についてもっと知ってもらいたいと強く願い、あなたに想いを伝えさせてください。
障がい受容
なかなかすぐには現実として認められない気持ちがありますよね。「普通」だと思っていたのに、なんだかその枠からはみ出したような、得体の知れない道を歩かなくてはいけないような感覚にわたしはなりました。
ふたごのヒカとマメは、3歳のときに自閉症と診断されてから、6年がたち、今は小学3年生の9歳になりました。
この6年で、親のわたしはかなり考え方が変わり、自分が知らない世界を知り、そのなかにはいることで、得るものがたくさんあり、人とのつながりの大切さをあらためて感じています。
・療育園で一生の友だちといえる仲間に出会えたこと
・「障がい」の世界についての知識が深まった
・自分のなかの視野が広がった
障がい受容で、なにが親御さんを苦しめるかというと、
・周りの目
・知らない世界にとびこむ恐怖
・将来への漠然とした不安
なかでも「先が見えない不安」が1番大きいなと感じます。
そこを解消してくれるのは、やはり同じ障がいをもつ親同士のつながりだと思います。
リアルに話しをできる仲間や、SNSでつながっているかたなど、「わかる!」が言える人がいてくれるというだけで、救われます。
「自分だけじゃない」「1人でがんばらなくてもいい」そう思えると、肩の力がぬけて息を吐くことができます。
本人の努力ポイント
「自閉症」といっても1人1人特性があり、その出かたはそれぞれちがいます。
特性と個性のちがいはこのようになっています。
とくせい【特性】《special quality》
そのものだけが持っている性質や能力。特質。
(新選国語辞典 より)
こせい【個性】《one's personality/individuality》
個人あるいは個々の事物において、それを特徴づけ、他と区別するような性質。性格。「—が強い性格」⇔普遍性
(新選国語辞典 より)
https://iso-labo.com/wakaru/business/merit_feature.html
障がいをもつ人にとって、上の言葉のちがいのように、障がいを「個性」「性格」ととらえられてしまうと苦しい部分があるのかなと思います。
そもそも障がいとは病気ではなく、薬で治るものでもありません。
本人や、家族が困っているからつく「題名」です。
その題名だけが一人歩きしないように、そして「障がいがあるからわたし(ぼく)はできない」のではないことを、子どもたちに話をしています。
ヒカとマメは重度知的障がいがある自閉症です。
姉のtukiも先日、診断がおり、知的障がいをともなわない自閉症です。
障がい名はわかりやすくするための単なる題名であり、大事なのは自分がもっている「強み」と「苦手なこと」を知っていること。
そして、周りに助けてもらいながら、同時に「努力するポイント」をしっかりおさえ行動にうつしていくことだと思います。
親の想い
定型発達(自閉症でない)人が大多数のこの世の中で、特性をもっている人が生きづらいなと、障がい児の親になって痛感しています。
奇声をあげたり、年齢にそぐわない行動をすると、やはり周りの冷たい視線や傷つく言葉を言われたりすることがあります。
障がいをもって産まれても、「楽しい人生だった」と最期に言えるよう、親としてできる限り支えていくと同時に、愛される、人を愛することができる人になってほしいと思っています。
まとめ
障がい受容を「早くしよう」「しなくてはいけない」と思うとしんどくなってしまいますよね。
子どもも親も「生きやすくなるための選択肢」だと思ってみてはいかがでしょうか。
そして、特性があることを、周りに知ってもらったり、過ごしやすいように環境を整えてもらったりし、そのために障がいをもつ子自身も努力していくことが大事だなと思います。
日本自閉症協会では、京都のチャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN(ジャミン)」とコラボし、 オリジナルロゴがプリントされたグッズを期間限定で製作・販売しています!
4月2日は国連が定めた「世界自閉症啓発デー」。
自閉症の理解を広げる活動として、自閉症啓発デーにTシャツを着て応援してください。
※売上の一部(Tシャツ1枚あたり700円)が、日本自閉症協会に寄付されます。
※寄付金は「自閉症の方が安心して生活できる社会を創る」ための当協会の活動資金として活用させていただきます!
ふたご9歳の誕生日!しんどさの中にも、ユーモアや見かたを変えてみる発見を
今日は、ヒカとマメの9歳の誕生日です。
過ぎてみればあっという間の9年でしたが、毎年この日を迎えるごとに、たくさん学ばせてもらい、いろいろな経験をさせてもらっているなと感じます。
自閉症児を育てていて、発見したこと、おもわず笑ってしまうこと、こちらの見かたを変えてみることなどを短くまとめてみました。
見えかた、見かたの違い
以前から、2人を見ていて、物の見かたが特徴的だなと感じています。
たとえば、マメは2~3歳のときは、道路にある街頭が大好きで、よく小さな身体をのけぞらせながら上を見て、まぶしいときにわたしたちが手を目の前にかざすようにじっと見ていました。
今は、病院、不動産屋などの看板や、市のマスコットキャラクター、会社のロゴマークなどが大好きで、よく手をかざして見ています。
「よく見つけたね!」と感心するほど、遠くの看板もよく見えていたり、広報にのっている小さなキャラクターもすぐに見つけていたりします。
誕生日プレゼントは、マメが大好きな看板やゴミ収集車などの写真を印刷して、オリジナルのアルバムを作りました。
記憶力
これまで数々のこだわりにしんどさを親も子も感じてきましたが、振り返ってみると、「前はこうだったのに、それと違うじゃないか」という予想と現実に差があるために起こっていたものがあります。
それは、しっかりと「この間はこの道を通った」という記憶力があり、それは素晴らしい能力だなと、落ち着いている今はそう思えます。
ついこの間のできごとではなく、その記憶は1年以上まえのことも覚えており、その力は将来味方になってくれると思っています。
息子のかわいさ
笑わせようとしてやっていなくても、その行動1つ1つがおもしろいことをしてくれ、最近では「少年よ、なぜそんなことをするんだ!」と思わず吹き出すことがあります。
出かけ前に、姿勢矯正の座椅子をもってきて、おもむろに寝転んだと思ったら、「しんだふりー」と靴下片手にくすくす笑っています。
理解不能ですが、そんなこともするようになったんだと、少年っぽさを楽しんでいます。
まとめ
ふたごの自閉症児を育てていて、しんどいこと、うまくいかないなと思うこと、たくさんあります。
でも、わたしのところにきてくれた大事で愛おしい息子たちに、なにか自分ができることはないか、少しでも生活がしやすくなる工夫をこれからも息子や、周りのかたから学んで、子どもたちと一緒に成長をしていきたいと思います。
いつも、ヒカとマメを見守ってくださっているあなたに感謝をして、今日もなるべく楽しんで子育てをしていきます。
ありがとうございます!
【子供の誕生日】産まれた日の母の失態と、これからの娘の未来を応援!
世界一大切な娘tukiが11歳になりました。
11年前、わたしは初めてお母さんになりました。
今日は、娘と初めて会った日の出来事の振り返りと、娘の将来の夢について書きました。
娘とはじめてあった日
待てど暮らせど産まれてこなかったtuki。
30時間の陣痛を耐えて、産まれる瞬間に助産師さんにわたしは怒られたあの日のことが昨日のことのように感じます。
なぜ助産師さんに怒られたのか。
もうまもなく赤ちゃんが出てくるというときに、わたしは忠実に助産師さんの指示にしたがっていました。
なんども「はい吸って、吐く。いいよ~吸って~」のコトバ通りに呼吸をしていました。
しかし何度も繰り返すうちに「吸って」と「吐いて」が頭ではわかっていても、どちらがどの呼吸だったのかわからなくなりました。
結果、「吐いて」を2回やってしまいました。
そんなはずはないとお思いでしょう。
今となってはわたしもそう思います!
でも30時間の陣痛にたえ、一睡もできておらず、もうろうとしながら決死の出産は、壮絶以上の経験でした。
すると、
「お母さん、赤ちゃんに酸素をあげて!吸って!!」
と怒られました。
ごめんねtuki。
そんな失態を乗り越えて、やや紫いろをして産まれてきた(笑)tukiは、すくすく大きな病気もせず育っています。
将来のゆめ
「わたし将来、保育士さんの自閉症専門の人になりたい。もっと勉強して、ひかくん、まめくんのことも知りたいって思ってる」と、先日そんなコトバが聞けました。
うれしくてうれしくて、涙がでてきました。
ひかとまめが頭突きに叩きがはじまったときは、1人をtukiが、もう1人をわたしがみて、落ち着けるよう助けてくれています。
その際、とばっちりを受けて痛いおもいをさせてしまうことに申し訳なさを感じているのですが、「お母さんが叩かれるよりいい」と言ってくれています。いやいやわたしもそう思っているのですが…優しい娘の思いやりの心を見習いたいです。
それに、わたしが以前資格をとった「発達障害支援士」の教材をみており、
「お母さん、混乱がはじまったら、落ち着くまで待とうね。なにも言わなくていいよ。うんうんってうなづいてあげて。」と教えてもらいました!
「はい、勉強になります!」
人の気持ちに寄り添える、そして受け入れられる大人になってほしいなと思います。
まとめ
子どもの誕生日を迎えられた幸せは何度経験してもうれしいものですね。
娘と出会った日のできごとと、今後の活躍を願って書きました。
11歳になったtukiの成長がこれからの楽しみです。
母親ができることは、娘のやってみたいこと、好きなことを全力で応援し、支えていくことと、栄養のあるごはんを作ることくらいかなと思います。
これからもtukiをよろしくお願いします。
今年1年を振り返って|母親自身の人生を楽しみながら子どもを支えていく
年末、いかがお過ごしですか?
わたしは3人の子どもたちと人が多いスーパーへ、こだわりの1つである「コロッケ」を買いに行ってきました。
この1年どんな年でしたか?
わたしは「挑戦」した1年でした。
どんな挑戦をして、どのように気持ちが変わってきたのか伝えさせてください。
出版社さんと契約
今年の秋に、念願かなってアメージング出版様とつながらせていただき、本を出版することになりました。
わたしは、ふたごの自閉症児こそだてをしていて、
・本人たちの困りごと
・障がい児を育てている母親の生きづらさ
をどうしても困っている人や、障がい児にたずさわっている人、身内に特性をおもちのかたがいらっしゃるかたに読んでもらいたく、書いています。
わたしが尊敬する元ホストのローランドさんの「夢はマラソンの給水所」というあのコトバを聞いてから、母親になった今、1つの目標(給水点)に向かって走っているところです。
毎日子どもたちのことでバタバタしていますが、わたし自身の人生も楽しまなくてはと思い、夢の1つをかなえる決意をしました。
娘が不登校に
不登校になったことを悲しんでいるわけではないのです。
むしろ娘が、自分の思いを外に出してくれたことはありがたいとさえ思っています。
「義務教育だから行かなくては」と毎日自分にムチうって行っていたときもあったようです。
就学義務は保護者などの義務であり、当事者の義務ではないとされている(当事者にとっては教育を受ける権利である)。
元不登校さんのお話をネットで読んだことがあり、学校に行けるようになったときも、当時も「原因」はわからないとおしゃっていました。
原因はなにをさぐるよりも、今の心の状態をより安全なところにおいてあげることが大事だと思います。
「学校に行きたくない」と聞くと
・さぼりたいのでは?
・勉強がしたくないだけ?
・家にいると楽だから?
子どもは知っている言葉の数が少なく、自分の気持ちをうまく表現できないため、「行けない」ではなく、「行きたくない」というそうです。
自分の将来のため、勉強はしたい、でも学校には行きたくないという娘の気持ちをまずは受け入れ、安心できる生活をととのえ、ゆっくりすすんでいきたいと思います。
不登校に児童さんの居場所としてこのような場があります。
まとめ
わたしはこの1年、大きな挑戦と、大きな変化がありました。
どんなできごとも良い経験、勉強だと思って前にすすんでいきたいと思います。
今年も大変お世話になりました。
あなたにとって、来年もよい1年になりますように。
子どもの不安とは?講演で学んだ不安をやわらげるための4つの方法
「わたしはもう絶対に学校に行かない」と娘が宣言し、約1ヵ月がたちました。
この1ヵ月、毎日があっという間で、いろいろなできごと、いろいろな感情がわき、怒濤の日々でした。
なかでも「不安」についてとても苦しみ、悩みました。
そこで、「こどもの不安」についてCBTキッズの「子どもの不安をときほぐすかかわり~周りの大人ができること」の講演をZoomで視聴し、親のわたしが学ばせてもらいました。
不安とは?
不安とはどういった状態なのでしょうか。
自分が危険だと予想することで起こる漠然とした恐怖、心配な心的状態。
不安なんてなくなればいい、0にしたらいいというわけではないそうです。
まったく不安がない状態ですと、もしも車が突然曲がってきたらなど、事故にあうかもしれないという危険を予測することができなくなります。
代表的な不安
・分離不安
お母さんや、親と離れると心配になる
・社交不安
対人、人からどう思われているのか心配、自分はバカなのでは。
学校でスピーチ、朗読が苦手
・全般不安
心配症
~したらどうする、どんなことがおきる?地震がおきたらどうしよう
親に確認をする
まちがってはいけない、遅れてはいけない
この3つの状態は、時期によって出かたがちがったり、全部の症状がでてきたりすることもあります。
大人のかかわりかた
親や、先生など周りはどのようにささえていったらよいのでしょう。
不安を和らげるためには?
①話を聞いてあげる
・不安について対話しよう
・不安は漠然としているからなんらかのカタチを作ってあげる
・不安な気持ちに名前をつけてあげる
・具体的にはなしをする
~ポイント~
・否定から始めない
そんなこと考えないようにしようではなく、そういった気持ちになったことを認めよう
・お互いの気持ちについてはなす
不安になっている、心配になっている、怖いことなどの気持ちについてはなす
感情についてはなす
・説得、応急処置のような修繕をしようとしない
魔法のような方法はない
着実にすすめていく
気持ちをはなしたり、自然災害など、しかたがないこともあると話す
・相手にわかるコトバをつかう
自分のことをおしつけてはいけない
・根拠がないのに「大丈夫」はつかわない
正確に情報を伝える
不安についての対話
共感・理解をしていく
その人が感じている事実を受け止める
②現実的に考えてみる
「子どもはなにができるのかをはっきりさせてあげる」
たとえば、コロナ対策で子どもができることは、マスクをする、3密さける、手荒いをする。
地震が怖くてしかたがない子どもに、「地震が起きないようにすることはできないけれど、きたときの方法を考えて練習をすることができる」と具体的に話す。
不安なことだけに目がいっている状態である場合、「ほかに気がついていないことはなに?」「これまでうまく行ったことはある?」など、視野をひろげていけるようにする。
たしかに危険なこともありますが、
多面的に柔軟に、現実的に視野を広げた考え方ができると少し不安やわらぐかもしれませんね。
③楽しめる活動を探す
今できていることに注目しよう
・友だちとはなす
・早寝早起き、運動をする
・お風呂にはいってリラックスをする
・おいしいものたべる
・音楽を楽しむ
④新しいチャレンジをしてみる
たとえば、
初めて浮き輪なしで泳ぐ
初めて教習所からでて一般道を車運転する
初めて海外いく
こんなとき、とても緊張をすしますよね。
もう泳げる!運転になれてきた!海外に何度も行ったから税関もなんなくクリア!
このように慣れていくと、少しずつ不安がなくなりますね。
まとめ
子どもが不安でいっぱいで、日常生活がおくりにくいときに4つの方法を紹介しました。
①不安や子どもの感情について話を聞く
ポイントは否定をしない、その子が感じている「事実」を受け止める。
②現実的に考えてみる
子どもはなにができるのかを具体的に、はっきりさせてあげる。
③楽しめる活動をさがす
好きなことをしてリラックスをしたり、友だちを家によんでいっしょに遊んだりする。
④新しいチャレンジをする
最初はだれもが不安だし、怖さがあるけれど、経験をつんでいくうちに「できた!」が増えて自信につながる。
いかがでしたか?
どうしても親や周りは、「不安」な気持ちをなくそうと考えてしまいがちですね。
なくすというより、不安への向き合いかたをいっしょに考え、本人のペースに合わせたり、コトバを選んだりしながら少しずつ過ごしやすくなるように工夫をしていけたらと思います。