自閉症ブログ「ひかまめ」|もし障がい児じゃなかったら
双子自閉症児ひかまめと、娘tukiの母Ribbonです。
自閉症スペクトラムの子どもを育て、7年を過ぎ、ようやく少しずつ彼らのことがちょっとだけわかり始めたなと思いながらも、障がい児を2人育てていく毎日に、ふと、秋のキレイな空、澄んだ空気を吸っていて思ったことです。
意味のない想像をしても
良いお天気で、風もなく、とても過ごしやすい秋のある日。
こんな穏やかな日に、私は息子たちと公園に来ている。
2人とも体が丈夫で、よく笑い、好きなものはよく食べ、よく寝て、本当に産まれてきてくれてよかったと心から思う。
なんて幸せなんだろう。
でも、年に数回、ふと思うことがある。
これは誰にも言っていない心の秘密。
「もし、息子たちに障がいがなかったら…。」
きっと友達と自転車に乗って出かけたりするのかな、7歳の息子と私はどんな話をするんだろう、野球が好きになるのかな、サッカー派かな。もうすっかり寒いのに、半そでで登校したいって言うタイプの子なんだろうか。
こんなもしも話、誰にもしていない。
しても意味がないことは十分わかっているし、障がいは病気じゃないから治る治らないというものではない。
もしも治療薬ができたのなら
以前、夫と自閉症や知的障害の治療薬が話題になった時に、「もし、治療薬でも何でも治る薬か何かがでてきたら、俺は飲ませたいと思う。そしたら、2人の意思が聞けるし聞きたいから。」と言っていた。
私は「副作用がどんなものが出てくるのか怖くて飲ませられないよ」
とその場では答えた。
現実に今開発中の薬はあるそうで、私たちが住んでいる地域の大きな病院で、自閉症についての研究がかなり進んでいるという話を聞いたことがある。
でも私はどんなにしんどくても、薬を使って自閉症や知的障害を治したいとは思わない。
本人が望むのならもちろん一緒に考えるが、私は今目の前でクルクル回っている、ひかとまめが大好きだから。
母の言葉
公園で伸び伸びと遊ぶこんな穏やかな時間もあるが、家の中や、スーパー、本屋さんで混乱した時には、正直本当に参る。
周りの目も気になるし、2対1で全力混乱をやられると、もう叶わない。
家の中でも、見たかったトラックが家の前を通らなかったことに腹を立て、ジャンプをしながら泣き叫び、自分の頭を叩くことなんてしょっちゅうある。
でもそれは、夫がいるときはやらない。
私といる時だけで、息子たちはよく見ているし、自分たちのスイッチをうまく入れ替えることもできる。
気持ちのやり場がなくなりそうな時は、母の言葉を思い出す。
「一生で子育てに手をかける時間はみんな一緒だから、今が大変なら、大きくなってからこの子たちは手がかからんわ!」
まとめ
私をチラっと見て、自分のルーティン通りにアスレチックで遊ぶ息子たち。
障がいがあってもなくても、とっても大変な子育て。
母の言葉通りにもしなるのなら、私は今より手が離れて、玄関で息子をいってらっしゃいする日が来るのかな。
素晴らしい未来が待っていると信じて、今日も「大好き」と伝えようと思う。
そしてどんな大人になっても、私は息子たちを全力で支えていきたいと、秋の空に誓った日でした。