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ひかまめ

双子2人とも知的&自閉症+HSC娘の育児ブログ

【自閉症】音や人の動きに敏感|予想と現実との違いを知っていく

私の子どもたちは、小さいころから音や人の動きにかなり敏感です。

 

物音、会話、私の動き。

 

今朝の登校時、ランドセルが道路に久しぶりに転がりました。

 

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自閉症児の子育て、体力、気力ともにまだまだ力不足です。

いい意味で入り込まず、客観的に見る、できたときは褒める子育てをしています。

音に敏感な子どもたち

娘のtuki、双子のひかとまめは、小さいころからかなり音に敏感な子です。

たとえば、お昼寝中にカーテンをそーっと開けただけでも大泣きをして起きたり、ティファールのお湯が沸いたときのカチッの音でパッと目が覚めたりする子でした。

 

3人(2歳と0歳2人)が昼寝をしている間の「1人コーヒータイム」は私の唯一の楽しみの時間で、ポットに常にお湯は常備していましたが、ミルクを作ったときになくなってしまい、どうしてもお湯を沸かしたいときがありました。

 

そんなときはキッチンに置いてあるティファールのコンセントを抜いて、子どもたちが寝ているリビングから1番離れた2階の寝室へもっていき、お湯を沸かしていたこともありました。

 

会話にも気をつけて

夫との会話の中で、たとえば「明日さ、車で〇〇スーパーでおやつ買ってそれから…」のような話をすると、次男まめが、靴下をもってきて今からどこかへ行くと思い、準備をしていた時期がありました。(もう夜でみんなパジャマでした)

 

それが叶わないと知った日には、フローリングの掃除をするかのように仰向けにひっくり返り、大泣きをしていました。

 

今でも会話には気をつけており、これを言ったら反応するというワードをお互い認識しており、トイレは「W.C」車は「Car」おやつは「3時」と変換してしゃべっています。

 

もうあの頃のようにモップ状態にはなりませんが、あの光景が忘れらず、癖になっています。

 

行動にも細心の注意を

家のお隣りさんへ回覧板を回すときも、必ず、息子たちに詳細を伝えてから玄関を出ます。

「お母さんは、靴を履いて、歩いて〇〇さん家に回覧板を渡してきますね。」

この「歩いて」のところがかなり重要で、車に乗ることを予想していて、そうでなかったときは、混乱して泣きながら「お母さん車に乗りたかったのー」と怒ります。

 

そうならないために、予告は必須です。

 

こうであろうという予想と違うと大人でも「え?lこうじゃないの?」と驚くように、息子にとって、その1つ1つが重要事項なので、事前報告が必要です。

 

それなのに、今朝、やってしまいました。

 

登校時間になり、ランドセルもマスクも準備OK。

しかし、ひかの帽子がない。

昨日車でお迎えにいったときに、車内に置きっぱなしだと気づきました。

 

私が車へ取りにいくと、今から車に乗ると思いそうだと考え、姉のtukiにお願いし、家の目の前の駐車場から玄関にいるひかのところまで持ってきてもらいました。

 

やれやれこれで出発できると思いきや、車のカギが開く「ピッ」という音、スライドドアの開閉音「ピーピピピ」の音に、ひかが車に乗れると思ったのか、玄関を出たら真っ先に車へ向かいました。

 

「歩いて学校へ行きましょうね。車は学校が終わったら乗ります。」

と伝えました。

(普段の会話以外の大事なお話は敬語にして、大事な話だということをわかりやすくしています)

 

すんなり「はいそうですか」とは、いきませんよね。

怒ってランドセルを道路に投げ、帽子も取りました。

 

1つ1つやり過ごす

毎日ではないですが、このようなことが頻繁に起こっています。

何か原因があるのですが、こちらにはっきりわかることや、何がそんなに怒れるのかわからないこと、日常にたくさんあります。

 

でも、毎回真摯に向き合い、解決していこうと思っていたら壊れてしまいます。

 

私はいつも第3者の目で様子を見て、「あ~今は気持ちがザワザワしているんだな」「学校できっとがんばってきたんだな」と、いい意味で参加しないようにしています。

 

そして、自分で切り替えて、スイッチを戻せたときには大いに褒めて、「切り替えできたね~えらかったね!」と抱きしめています。

まとめ

昨日おとついから始まった敏感さではないので、音に関しても、私の行動にも免疫が付いているつもりです。

 

ふと気をぬいたときに言ってしまったりやってしまったりすることがあります。

そんなときは「次からお知らせしますね」「こういうときもありますね」と間違うことや、いつもと違うことがあることも知らせていき、お互い窮屈になりすぎないようにしていきたいなと思っています。